4/12/2013

[&] AXIS - Yasuhiro Suzuki

AXIS
鈴木 康広:凹デザインの活動 - 気づきをデザインすること



http://www.mabataki.com


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鈴木 康広:いきなり変な登場をしてしまいました。
中邑 賢龍:先端科学センターの助教で働いてもらっていました。嫌気がさして国分寺の大学に?

鈴木:思った以上に、誘導してもらったら、簡単でした。
ズルしてしまったかなと。
瞬き眼鏡という作品なのですが、かけると見えないので、不安なんですよ。
実は僕が、始めて制作した作品です。
変ですよね。なんでこんまもの作ったのかわからなかったのですが。
公に作品を発表したのは、NHKのデジタルスタジアムという番組で、
一気に全国に紹介されました。



最初はグローブジャングルを使った「遊具の透視法」という作品で、
岩井さんが2作品採用してくれました。このメガネをかけて始めて世の中に出ました!
今みたいな感じ。
という作品です。
すいません。ちょっとパソコンつなぎます。

中邑:僕が鈴木サンに出会ったのは、仕事終わりだからね... と元の上司に言われて、
僕は当時いろんな部屋の担当で、作品が倉庫に山のようにありました。
3月にあったら、持って出てもらうからね! 3/15 日になっても、
いっこうに引っ越す気配が無いので、うちの大学に雇用した方が早い... と思って。

鈴木:大学の人に、いつ作品出すんですか?といわれました!
中邑:なんとかします。
鈴木:すごいご迷惑をおかけするようで....

鈴木:不思議な前置きからはじまりましたね。
まばたき眼鏡をかけて、皆さんとこの時間を過ごしたい。
け、けっこうキツイ.....
無理ですね。これは.....

今日は、AXISフォーラムにお越しいただきありがとうございます。

●凹デザインの活動 気づきデザインすること

この作品は自主的に作っていたものです。
これは NHKがハイビジョンで撮影してくれたものです。
僕は就職活動をしませんでした。
わがままなんですね。
自分のやりたいことしかできないと薄々気づいていました。
精一杯その時に考えていたものをつくりました。
当時アニメーションの仕組みに興味があって、
アニメーションの原理を自分の生身の体で再現したかったのです。

理想的には、アーティストが作った作品を自分の体で体験できれば
アーティスト本人を体験するようなことができればと。
自分自身がいて、作品が外部にあることが違和感がありました。
視力が良かったので、眼鏡無しで生きてきましたが、
なぜか眼鏡というツールを選びました。

瞬きと、羽ばたきみたいなことをつなげていました。
僕にとってすごく重要だったのは、テーマというものが特になかったんです。
一人の人として居ることが不思議で、
作品を作るまえに自分自身を確かめないといけないと思いました。

22歳くらいの時に、人類が20世紀、無意識を発見して、
人類がそのことに気づく瞬間がありました。
ぼくにとっての 21歳、22歳ころは、自分が覚えようとしたり、
成長しようとしている世界と、
自分なんだけど自分じゃないあいまいな領域があることに気づきました。

東京にでてきたことも大きいのですが、
地元にいたときは家族がいたりして、あるまとまりの中に生きていました。
東京だと一人になってしまい、自分と向き合いました。
まずは、自分の体で考えたいなと思いました。
自分が見えている世界と、自分が見えていないエリアとか。

その両方を見ていきたいなと思いました。
瞬きは自分が制御せずとも、勝手に動くときもあって。

中邑先生は、私のような所属の無い人を受け止める研究をしていて(笑

まばたきの標本という作品。
きっかけとなったのは、デジスタという番組で、海外に連れて行ってくれることになりました。
その時、生まれてはじめてパスポートをつくりました。
パスポートで写真をとるときに「まばたきにご注意ください」と書いてありました。
調度、瞬き眼鏡を作っていたので、「注意しない世界にご注意ください」と思った。
目を閉じると、社会的には証明写真にならなくて、
それに「ピン」ときて、自分が法的には居ないということなんだなと。

身近な人の写真をとり、哲学っぽい取り方ですが、
自分の身の回りの人を採集して標本箱にしていました。
当時の自分がどれだけ不安だったか。

まばたきの妖精みたいのがいっぱいいて、それが皆に乗り移って
パチパチとさせるのです。(会場シーン)

世界中の人が瞬きしたか?とかそういうことを考えていました。
採集箱はカメラ。
採集する、身の回りを自分の手が届く範囲で採集するとか。
理科で、植生を調べる時に、その中に入った植物を調べると、
そのあたりの植物分布が分かるというのと同じ。
自分が投げたことが重要で、そういうことが重要かな?

中邑:普通そういうことは考えませんよね?
世の中の99% の人が考えないことが考えてますよね?
鈴木:それは、話を聞いてくれる人が居るからです!
聞いてくれないと、なにも始まりません。

●まばたきの時計
つくった順番に出しています。自分好き?
デジタルと系です。画期的ですよね!
チクタクの時計がその時の時間を示すのですから、凄いですよね!
パタッとなった瞬間、なぜ人はうれしいのか、凄く考えていました。

中邑:普通なぜかと考えませんよね。
鈴木:うれしいかた!
みんなうれしいけれど、それを聞いてくれる人はいないんですよね。
それを誰かに聞いて欲しかったんですよ。
僕ばっかりでてきます。
既製品のクオーツを改造して作っています。
たまたまぱたっとなった瞬間を見ると、いがいと見逃すんですよ。
勝手な時間と、待つ時間ってすごい違いますよね。

これは自分専用の時計があれば良かったんじゃないかな?と。
将来は皆こんな時計になるんじゃないですかね?
タイミングだけ計る時計とか。

中邑:冗談なように思えて、なにか考えさせるものがあります。




鈴木:一気に、まばたき時計から飛躍しました。
この作品を作ったきっかけはデジスタでした。
未来にこんなものがあったらいいなというものを
若手クリエーターにあたえてくれました。
デジスタということもあって、ハイテクな技術を使って、
こんな便利な社会になればいいな.というのをプレゼンする人がおおかったです。
僕はなぜかそれに違和感があって、
僕は将来、木ともっと長い時間をすごすと、そこに通りかかる人間のことを
覚えて、木はその人の目を覚えて、葉っぱにして、
秋になったら、葉っぱが落ちて、そこに通りかかった人と目が合うといった。

生命側にあると思って、
プレゼンのために東急ハンズで筒を買ってきて、
話だけでは伝わらないなとおもって、
キテレツみたいなかんじで、まるでコロ助ですよ!
葉っぱが詰まってしまって、ポケットから会場にばらまいたら、
瞬きがばーっと散って、私の方を見ました。
たくさんあると、こういうことになるんだなと。
飛躍した感じです。代表作になりました。
アーティストとして活動する重要な作品になりました。

その当時、岩井さんのアシスタントとして働いていましたが、
自分がアーティストとして活動するきっかけになりました。

中邑:なんで自動化しなかったの?

時間がなかったんです。
スパイラル展示の締め切りがあって、
紙つまりとかあるじゃないですか。
自動改札も良く止まってますよね。
よく修理しているのを見かけるということは、
人の手がすごくかかっているということですよね。

中邑:人を動かす作品ですよね。

係のお姉さんに、すいませんが入れてくれますか?とお願いしようとおもったら、
お客さんがたくさん一人でに入れてくれました。
参加型の作品と思われがちだが、
人に依存した作品なんです。
僕自体、中邑先生との出会いがそんな感じです。
もし僕が完璧主義者なら、自動化するまで発表しなかったと思います。
当時展示した時も、葉っぱが詰まったんです。
八屋さんが「鈴木さんの作品はバージョンアップが面白いよね」
と言ってくれて、
今は、そういう考えを取り入れて、作品が完璧でなければいけないという
固定観念なんだなと。

中邑:つまっている時は、棒を持ってきて、つまっているのを解消して、
ブワッと一気に葉っぱが出てくるじゃないですか。

それって狙ってできないんですよね。
外から開口部を絶対作りたくなかったんです。
継ぎ目があってはいけないと思ったんです。
そのこだわりが極端だなと思います。追い込んでいるんだなと。

人を動かすというところに感動して、
当時しかこんなスケッチ描けませんよね。
現場ではなく、家に帰ってから書くんですよ。
そういう、人とか、作品の周辺で起こったことに
純粋に感動して、印象に残ったことを書くのは、
その当時にしか書けなかったんだなと。
作品は消えてしまっても、人を描いたのは残るから。

本にも載っているのですが、なぜか花火を打ち上げたいと思いました。
昼間。
空高く打ち上げて、街に降り注ぐんですよ。
紙を巻いたら、大きな気ができるんですよ。
鳥が食べられるような素材で作って、
空中で、おなか空いたハトがキャッチできるんですよ。
練習すれば(笑)

ここで、瞬きがまた出会ってしまったんですよね。
まぶたと羽根の関係みたいな。
まばたき → はばたき (会場:おお!)
その後、いろんな展開をしていて、
愛地球博で、開幕の式典の時、
岩井サンがなんかやった方がいいんじゃないといって、
僕なんかを参加させてくれたんですよ。
モリゾーキッコロ懐かしい!

地球のオルゴール、リアルタイムで皇室の型にCGを重ねたのは始めてのことで、
これをオーケストラが受け継いで、開幕につながっていくという。
この時に、10万枚の瞬きの葉っぱをばらまきました。
ここで、「まばたきの葉」って言ってほしかったんですけどね。
そんな風に参加しました。



誰も予測していなかった。
次ダンサーが踊るので、子供達が一生懸命葉っぱを片付けていました。
僕は「ほんとうにすいません」と思っていました。
植物は野心家だし、僕たちにはわからないような意識を持っているのかなと
考えています。

めざましテレビで紹介されました。
未来館で「まばたきの葉」を紹介されました。
自分の作品がめざましテレビで見られるとは思わなくて。
「お家で皆さんも作れますね」というコメントを聞いて、
自分の作品を越えたな〜と思いました。
勝手に広がる魅力をテレビで知ることができました。

中邑:人を動かすのはすごいよね。

僕が不安定な 1979年生まれの男子代表の一人として、
今の社会に居場所がなく、自分なりの何かを残したいとスタートして、
今の作品が当時のすべてです。
自己紹介的なことでした。
普段そういう話をそんなにしないかなと。

中邑先生とは、本当に偶然というか、僕もウスウス気づいていたんです。
自分の居場所が無いということに気づいていたんです。
いつもなんとかなるのかな?追い出されるのかな?と思ってました。
ギリギリまで待つというのは、意外と人間そういうことができないかなと。
本当に追い込まれたら、なんかできるかもしれないというところに追い込んでました。
卒業制作で次につながるものができました。
不安になります。本当に不安になるまで自分を放っておくのが辛いです。
最後に皆がハッピーになるんですが、それまで不安です。
なにができるんだろうと思いながら、中邑先生のところに所属しました。



「壁を避けずに乗り越えよう」というお題を頂いて、

中邑:プロシーディングにシャレた表紙を作ろうと思ってお願いしました。
その時、駒場の空気を真面目に持ちあるいていました。

マルセル・デュシャンがパリの空気を瓶詰めにして作品にしていました。
僕はなんとかそれを現代的に更新したくて。
アート業界では、空気を作品にするというのはあたりまえですよ!

中邑:衝撃ですよ。ヴィトンの方が良かったと言われますよ!
そういう人なんだと思ったわけです。その時まで再認識していませんでした。
グリコのキャラメルのおまけの方がうれしかったようなものです。
カドケシの神原さんがついてきたのがうれしかったです。

壁を避けずに乗り越えようというテーマで絵を描いて欲しいと言われて、
このテーマはきついなと思って、
じれは自分自身にたいする課題かなとおもって、
中学生の時に走り高跳びをやっていました。
バーの下に何も無いのに、この壁は何なのかと思って、
絵を描きました。
そういう視点を変えるみたいなことを提案しました。
こういう違った捉え方をすればいいんじゃないかなと、それが始まりでした。

そこから、BOCO DESIGN を始めました。

中邑:BOCO DESIGN とは何だろうか?
もともとバリアフリーの研究が本職です。全盲の福島先生と研究をやっていました。
世の中点字ブロックがあちこちにあって、それが本当でしょうか?
つまづくし、台車やベビーカーもガタガタしますし、
こういう世の中はどうなんだろうと、ボチボチ真面目に考えなければと
思いました。

●人/社会を動かす凹デザイン

便利で簡単な現代社会
携帯、iPad、スタバでコーヒー

一昔前:
ゼンマイ時計で目覚め、新聞受けに新聞をとりにいく、
お湯を沸かしてコーヒーを飲む、

この2-30年で生活が激変しました。
安全/安心設計とは本当に良いものか?
不審者に排除する社会です。

効率化追求社会の落とし穴
標準化、均一化、どこでも同じサービスがウケられる社会で何でも同じとおもってしまう。
仕事の遅い人や、効率の悪いものは排除され、失われるものや人。
個性重視をうたいながら、突き抜けた人を排除する社会。社会の不安定に直結。

鈴木さんは、止まったものに、動きを見て、動きを設計しているんだと思いました。
最近 ROBI というロボットを売り出している高橋クン。
乾電池2本でグランドキャニオン登ったテレビを見て、高橋クンを呼びました。

動きをデザインする人は、世の中にほとんどいないんじゃないかなと思っています。
鈴木サンは、止まったものしか作りませんが、

それを見せたときに、周りがどう変化していくか?

中邑:現在/過去のはんこ。「エ!」って考えるじゃないですか。
こんな訳に立たないと思ったのに。
本当に面白いなと。

鈴木:人の中に残るのは「未来」なんですよね。作品名にも未来は
入っていませんが、未来を伝えたかったのかな。
受け取った側に、伝えるのが一番なのかなと。

中邑:変わった人はどんどん排除されます。
キッザニアに生きました。鈴木君の感想は「僕みたいな仕事がない」と言いました。
いわゆる大手の企業、会社員の仕事がいっぱいある。
やっぱり親や社会が期待するのはそういうことなのかな。

鈴木:僕は、キッザニアの形は、優れたものだと思ういっぽう、
これでいいのかな?と思いました。
自分が少数派なので、そうなのかなと。

中邑:スパイスのような人と研究することで、
刺激をうけています。

バリアフリーコンフリクト
(点字ブロックは、車いすには不便)
高齢者や障碍者に優しい社会の中で育つ子供はどうなるか?
ポテトチップスの袋は簡単に空きますが、
たまに海外のポテトチップスは袋があきにくかったりします。

社会の閉塞感
効率化の追求と社会のスピードアップ
時間の余裕の無さ
完全な仕事gあ求められる
凹を排除する社会
産業構造の変化

鈴木サンは空気読まないから、人が動いていくんだと重い明日。

●凹デザインの誕生
凹があるから気づく
物をデザインすることで人を変え、社会を変えるデザイン = 凹デザイン
エコから凹で新しい切り口で。

完璧なデザインは人を動かさない。
デザイナーを動かしていかなと、世の中はつまらない。

凹を埋めて平均化する
□に機能を加えて、凸にする
凸が突出するとそれを削って□にする。



誕生日のケーキに、1ピース欠けたケーキです。
これは 1ケース他の人にうって、それが寄付に使われます。
何かを考えさせます。
おや?と思うところで、いろいろ考えます。

ヤコブセンの名作のチェア。
当時は三本足ででました。
三本足にすることで、丸いテーブルでもぶつからないのです。
椅子の上に乗るときに、中央に乗らないと転倒するんです。
注意して乗るように、子供に教育しなければいけないんです。
デザイン狩りのようなことが起こっているような気がしてならないんです。
デザインにイノベーションを起こしたいと思っているんです。

デザインや機能、そして驚きやコミュニケーションが生まれる。

質疑応答が重要なのかな?
質問について、いくつかお答えしていきたいのですが......

Q
A.
バリアフリーは大事ですが、全部がそれになると、かえって危険なんですよ。
多様性があるべき。階段を登ったことが無い子供が出て来たりすると困りますよね。
すぐ結論を出しすぎると思うんですよ。
すぐダメだと結論づけてしまうのですが、

人が慣れてくるという時間。自分の体が変化していく時間と、製品として完成しているという時間が
まだしっくりこない。
慣れてきたら、携帯電話のボタンが小さくなってくるとか。
自分の能力みたいのを意識化して、それを楽しめたらいいのかなと思います。
「時間」もデザインの要素になっていくといいのかなと。

Q. どうやって人を集めているのか? 短所と思われる「凹」は?
A. 皆さんは完璧な人間ですか? 凹なところがあるのを隠しながら生活していますよね。
それを取り払ったらどうなりますか? 一緒に働きながら議論していきます。

Q. 頭の中のものを形にするモチベーション、モチベーションはどこからくるか?
A. 自分で見てみたいと思うからです。
ファスナーの船はまさにそれですよね。


ものにして始めて人と共有でき、気づけるので、そのあたり妥協は無いと。
僕なりにアーティストとして生きていけないと思っているので、
社会に存在するために、許される居場所をみつけるために一番最適な方法でした。
アーティストにはいろんな人が居るのはそういう意味です。
作品と言われる何かが必要なんです。

Q. デザインとアートは区別していません。
デザインは職能だと思っています。
作品で名前がでたのでアーティストと名乗っています。
デザインの方が社会的な、関わりが前提で始まる仕事だなと思っています。

中邑:デザインは機能を持つべき、アートは離れて存在するべきと思っていましたが、
ますます区別は無くなってきて、もうひとつ別の新しい言葉が生まれても
いいんじゃないかなと、最近思っています。

アートは、えたいのしれないものを認め合う、だれも話題にしたことが無い話を
するために客観的な存在。作者うんぬんではなく、世の中にでてきたもの。
それを言い当てる人がいれば、優秀な評論家ですし、
観客が教えてくれることもある。
デザインは、プロジェクトに最適なもの、
アートは先が見えないもの、誰かが「こういうものですよね」と言うもの。

アーティストや、デザイナーは形を作れるんですよね。
視点が違うんだということに気づき始めるんです。
ひとつひとつ、研ぎすまされた専門性がミックスして形を作れる人。