2/13/2016

[&] FITC 2016 - Michael Muller



FITC 2016 Day1
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型を破る
with Michael Muller
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東京の皆さんこんにちは。ここに来れてうれしいです。
本日は心から、FITC, Adobe の皆さんに感謝を申し上げます。
一番自分が好きじゃないのは、自分の話しです。

80年代、90年代、デザイナーだったという人はどれくらい居ますか?
だれも居ませんか?
当時、80年代、90年代、写真を撮っていた人じゃないと、
私の人生がどれだけ Adobe から大きなインパクトをもらったのかを
伝えたかったのです。

本当にこの機会をかりて、こころから感謝を申し上げたいと思います。
アドビがあるまでは、ビジョンがあっても、まずは暗室からで、
すぐに形にすることができませんでした。

本日、私の周りの環境がそれがどう影響を及ぼすのか?
という話しです。
子供のころ、サウジアラビアで暮らし、ミノルタのカメラが
最初のカメラでした。
当時、始めてのカメラで、雑誌に映ったサメを撮影したら、
大騒ぎになりました。でも後で白状しなければいけませんでした。

15歳になって、アメリカに戻ってきて、
当時はスノーボードにハマっていました。
当時15歳、スノーボードの写真が雑誌で取り上げられるようになってきて、
すごく楽しかったです。
私、子供のころから世界中をダビしていて、世界を自分の目で見るのが
好きで、国連と組んで写真を撮ったり、
世界中でどういうことが起こっているのか物語を伝えていくのが
仕事になっています。

当時、キリマンジャロに登るというプロジェクトがありました。
女優さん、ミュージシャンと一緒に登るのですが、
間違ってスダーンに行ってしまいました。
私たちのことは忘れられてしまっているという、人達に会いました。
これはデザイナーであっても、だれでも同じで、
人と助け合って、カメラマンという職業を使って、
ストーリーを伝えていくのです。

その一方、バイカーのかたがたの写真も撮っています。
普通、関わりたく無い人達です。
ただ、そういう写真、ドキュメンタリーを撮るという幸運にあいました。
サウジアラビアから米国に戻ってきて、
トライアスロンをやるようになりました。
実はわたし、世界大会5位になり、アームストロングと写真もとりました。
トライアスロンは大変なので、簡単に写真家を選択しました。

13年前スピードという水着メーカーがカメラマンを募集していて、
これは私の仕事だ!と思いました。
私はゴールに達成するためにやれることはなんでもやります。
私自身水泳のことがものすごくわかっていますと、伝えました。
その結果、9年連続で雇用されることになりました。

19歳の時には、LAに戻り、友人の俳優らを撮影しました。
正しいところに、正しいタイミングでいられました。
写真をとってもいいですか?という声をかける恐れを克服するのが重要。

音楽も重要です。
ビリーアイドル、
シェパードとコラボできたこともうれしかったです。
タップスターがでてきてから音楽業界は大きく変わりました。

テクノロジーの世界の変化は激しいです。
娘が匠にスマートフォンを扱っています。
コダックのキャンペーンを手がけることができたのは光栄です。
ものすごく体を使いながら写真をとっています。
アマゾン、戦車、タランチュラ、東京の交差点、
いかに人がいっぱいか、皆さんが一番ご存知かと思います。
これは後日、トルコ航空の広告になりました。

セレブの写真の時は、こちら向いて、あちら向いてと言います。
ほとんど人は、撮られたくありません。
私の場合も、禿げてるし、腹もでているし、撮られたくありません。

なので、その代わりのアプローチを考えました。
彼らと一緒に協業していくというスタイルをとりました。
対象とともに、一緒に作り上げていく。
なんでもイエスと言うのとも違いいます。
そうはいっても、正直な気持ちで表現してもらえることは尊敬に値します。
たくさんお金を支払ってくれるクライアントにNOと言うことが容易ではありません。

このマイクラダグラスにポーズをお願いしたわけではく、
すぐに瞬間を撮れるよう、準備をしておきましょう。
写真を撮るさいに、光はとても重要です。
写真を撮り始めて30年たっても、いつも発見があります。
常に楽しい気持ちが盛り上がってきます。

写真撮りたく無いなと思ったことはありません。
私たち全員がクリエイティビティのためにお金がもらえるのです。
それよりも素晴らしいことはありません。

常に直感に耳を傾けています。
テレビ番組のキャンペーンの時、キャストを引き連れて外に行きました。
後になってみて、もともとのコンセプト写真は全部ボツになって、
しまったので、余計にとった写真が大助かりでした。

5年くらい前、映画のポスターを作りたいとおもっていました。
給与からいうと、ファッション写真が一番良かったのですが、
18歳のころからそうじゃない、映画のポスターを撮りたいと考えていました。

俳優を撮影していけばいいのだと、わかりました。
どのアドバイスにも耳を傾けませんでした。
その代わり、ハリウッドで信号が赤になった時に、
ストームトゥルーパーがぼーっと立っていたんです。
タバコを吸っていたんです。そこからきっかけとして、
こういったコスチューム着ている人の日常を撮影していきました。
凄く大成功しました。
FOX の幹部が、その写真を目に留めて、それによって私の人生が
大きく変わり、その場でX-Men の仕事が入ってきたのです。

決まった法則とは全然違う方法で、この仕事を獲得したのです。
学校にいってルールを学んでいないからだと思います。
これがダメ、これがいいとか、私の耳にははいってきませんでした。
やっちゃダメと言われて時こそ、どうやろうか考えてしまいます。

これは、 Photoshop の合成ではなく、複数の露光をした写真です。
その後、スパイダーマンの話しが入ってきました。
映画ポスターは数人のカメラマンの世界です。
私はその中に入ることができました。
マーベル社の作品は、ほとんど私が手がけています。

こういった瞬間を撮影していくのはアートの世界でもあります。
カット&ペーストであればなんでもできます。
コンポジットのことを勉強したことはありません。
ただし、最後まで作り上げることができるひとと、
単あるカット&ペーストは大きく違うことをわかっています。

ぜひ、光とアートを、
機器や顔にどう光が当たるのか、わかるようにしてください。
雑誌をめくる瞬間は 1.5秒ぐらいだと言われています。
私自身がサーファーなので心の近いところにあります。
サメをすごい恐いと思っていました。
誕生日に妻が旅をアレンジしてくれました。
そこから、大きなサメのポスターを作り、いろんなところに写真を
貼るようにしました。

出来る限りの水中のライティングを駆使した写真を撮りました。
クルマの中でも光が必要で、
クルマの中で重いついたのは、サメをスタジオで撮影したい!と思いました。
であれば、スタジオをサメの近くに持ってくるしかないと思いました。
光を発明できるのか?

そいった小さな声は排除して、自分のビジョンにつきすすみ、
そうした中で適切な助けを得ることができました。
この水中照明に関しては4つの特許をとることが出来ました。
その後、ガラパゴス、IWC の時計のキャンペーンで行きました。
とにかく水中で光が必要でした。
旅立つ直線に、ライトがの試作品が届いて、
その撮影を成功することができました。

12日間ボートに乗っていた時に、娘のことを考えていました。
今目にしている生きものは、将来生き残っていないかもしれないと
考えました。自分たちの惑星で何が起こっているのか、
認知度をアップし、お金を集めていくことに全力を尽くそうと考えました。

水中で、フルスタジオ並みの光源を用意して撮影するのは
凄い困難なことです。
サメの裏側に光があたっていたら、みんなビックリするだろうと考えました。
人々の気持ちを引き込んだ瞬間に、動物保護のことを伝えていったら。
ついに撮影用の檻からでてしまいたくなりました。
サメは必ずしも人間を襲おうと思ってはいません。
サメの目を実際に除いてみてください。
虹彩まで観れると、目と目が観れるのです。
意志の疎通ができるのです。

10年かけてサメを撮影することで、サメの振る舞いがわかるようになってきまいした。
防護服などはなく、唯一もっていたのかカメラだけです。

商用の仕事と、個人ワークは両立するのか?
まるで煙のような砂を撮影することができ、
自分で、カメラを膝において、スモークのように砂けむりを使いました。
素晴らしい体験でした。

ホオジロザメがよく海上にでてきます。
このショットを撮るために2年かかりました。
どれだけお金がかっかったのかは忘れることにします。

カメラのキャリアでももっともエキサイティングな瞬間になりました。
いろんな取り組みをしています。

それ以外にも夢があって、作品集を大型の画集にしたいと思っていました。
TASCHEN とう出版社から出版社から出したいと思っていました。

10年来の夢がかない、
SHARKS という最初の写真集がでます。
ニューワークジャベットセンターに1週間ほどいきました。
その時、始めて自分の写真集を手にしました。
手にする前には、気がくるう、頂点かと思っていたのですが、
そうでも無いことがわかり、その前の日、皆で瞑想した時の法が
深かった。なにか、空虚なことを目指していっても、
心は満たされず、何か他のところに、
人生の中にあるそこここは、あちこちにあり、
人として、イコール自分と定義するわけではなく、
成し遂げがことがひとつ、沢山あればもっと良いが、
自分の人生を終えるとき、写真集を持ってきてくれ!とは言わないはず。
愛する人達に囲まれて死にたいと思うはず。

皆さんも、美しい作品を作り続けてください。