8/26/2010

[&] Craig Mod

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■クレイグさんの本への愛着があるれる講演であった。
 Scott Tohmas オバマのデザインチームの話も驚き。

Craig Mod :
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Web Directions East Special Event at Ginza Apple Store

iPad の登場で広く知られることになった電子書籍。このイベントでは、
電子書籍と出版が今後どのように変化していくかをテーマに、
電子出版の最前線で活動するキーバーソンが講演を行ないます。
講師は PRE/OST Books の創始者として多数の電子書籍出版を
手がける、作家兼編集者のクレイグ・モッド氏です。

デジタル時代 書籍と出版。

書籍と出版の変わる時代にはいっていっている。
なんかいろいろ話したいことがありすぎて、
できるだけ編集して、
変わっている立場から発表させていただく。

書籍をどうやってデジタルにする?

この質問をすると、もちろん iPad,
書籍というイメージはペーパーバックを
どうやって iPad に入れるか?というのが1つの考え。

残念ながら、もっとコアな質問はあると思う。

もっとコアな質問は?
どうやったら考えが変わるか?

デジタルが書籍をどう変化させるのか?
微妙に違いは細かいが、この線で考えると
書籍と出版が変化すると思う。

この質問は、外側だけを考えている。
Wired の iPad アプリ
WIREDは完全に前から持っていた雑誌を iPad に入れようとした。
まあ、デザインのコミュニティの中に、かなりへこんでいる人がいる。
読者の体験に

Dammit, It's the Nineties all over again
Oliver Reichenstein

Paul Graham
the medium was what they ware selling,

デジタルコンテンツの販売はどう変わるか?
コンテンツは別に売っていなかった。
雑誌を買うとき、雑誌のコンテンツが変わっても、
流通と印刷代に対して変わっていく。

昔から、前からあった雑誌の作り方で、
iPad に入れて、同じ値段で販売するのは
間違っているのではないか。
無理矢理ものを作っている感じ。

あるいみ、本はぱっとできあがっているもの。
本はそれだけじゃない。
本は実は複雑なシステムのいったん。

本ができるまでの活動。
出来上がっている書籍しかみていない。
本が出来上がるまでの複雑な仕組みがある。

書籍をどうやってデジタルにする?

By asking
デジタルが書籍をどう変化させるのか?

本の流れ、
idea word sentence paragraph chapter collection of chapters book

考えからチャプターまで、読者とのフィードバックができる。
デジタル前の本の作りかたは、編集者、

editor publisher distributor bookshops

1つの本ができれば、読者と直接会話ができる。
会話ができれば、書き方を変えることができる。
著者と直接で会話ができれば、本屋に行く必要がなくなる。
このシステム、この変化を考えると、
本をどうやってデザインする?
もっとうまく使えるツールとか。
出版する簡単にスムーズにできるツールを考えられる。

1つの例

37 signals
シカゴにある Web 会社。

Getting Real をだした。
彼らが人気のあるブログを書いていた。
ミーティングをしないとか、過激なブログを書いていた。
ビジネス哲学をブログで書いていた。
気づいたら 10万人くらいが書いていた。

ブログで書いたものを本の形にすればいいんじゃない?と考え、
編集して本をだした。
ブログを書いている間に、
どこのブログが良いのか考えて、
ヒットや、コメントなど、数字を見ると、
ブログの読者のきょうみ を持つところが良くわかる。

売り上げ、全部直接、
$19 * 30,000 PDFs の売り上げ。
もう1億ぐらい売り上げているんじゃないか?
$570,000(2006年)の時点で。

あるいみ、気づいたら、出版社になっていた。
2006年はかなり web では初めてのこと。


..... now i know who my readers are.
Seth Godin, August 2010
もう普通の本は出さない。

出版のやり方をする必要は無い。
読者と毎日会話している。

Wikipedia
出来上がるまでのシステムが変わってきている。
15年までは百科事典
マイクロソフト ENCARTA'95 がでてきた。
90年代、高校に入っていて、一度も使っていない。
ふかみより、映像いれたり、
百科事典としての深みのある記事が無い。
紙の百科事典の方が良かった。

デジタルが百科辞書をどう変化させるのかを考えると
Wikipedia がでてくる。

「数万人が編集できるサイトに超えられる」→ゴミ
Wikipedia は百科事典の魂を守りながら、使いやすいものに。
結局大切なのは、
外側しかみていない。
大切なことは?

Wikipedia で検索したら「さる」の記事を探すと、
百科事典と、猿の記事はそんなに変わらない。
変にインタラクティブになっていたりしない。
同じ魂を持っている。

Encarta 2009 年中止になった。
外側しかみないと、本当にデジタルに変化させる
ポイントをミスする。

WIREDは
ちゃんとデジタルを考えていない。

Books and Me
もっといい書籍が作れると思う。

2002-2008 までいろんな書籍を作っていた。
かなり凝っている感jいのもの。
全ての材料や印刷のやりかたも大切にして。
紙の全てを大切にして、本を作っていた。
本当に凝っている感じのものを
一般の出版のやりかたで作っていた。
印刷代出して、流通で流して、すこしづつお金がはいってくる。
かなり大変。
2000冊売れたらうれしい。

Good Bye という本。
こっている本をずっと作っていた。

Kickstarter
というサービスがでてきた。
http://www.kickstarter.com/

これはかなり面白い。
自分が CDとか本とか、写真の作品を作りたい時、
このサービスを使って、プチ投資みたいなお金が集まる。

このサービスがでてきて、Art Space Tokyo の本。
東京の芸術と詳しい人と作った。
2008 年の春に作った。
気づいたら、増刷しない。
この本の印刷代がけっこう高い。
できるだけ奇麗なものを作ろうと思った。
出版社はできるだけ安いものをという考え。
安ければ安いほど、流通会社が本屋に売りやすくなる。
高く販売する計画だったけれども 3000円で売った。
そうでないと流通会社が流してくれなかった。

KickStarter のプロジェクトで
一ヶ月 $15,000
デジタルをどうやってうまく使うか?
期間を決めて、一ヶ月だけ。
一ヶ月で 150万集まらないとk、このプロジェクトができないよ!
kickstarterのシステムは、
サポートしたい本をいろんなレベルでサポートする。
2000円なら PDF, 25000円なら名前を入れてあげる。
50000円なら手ぬぐいとサインをあげるとか。
一ヶ月たって、150万なければ心配。
不安が有ると思うけど、
Amazon のペイメントシステムをうまく使って、
支払いの約束になる。
もし150万いかなかったら、誰も払わない。
150万あつまったら、全員が自動的に支払う。
自分の欲しかったものが手に入る。
凄くシンプル。
Amazon の仕組みとあっている。

一ヶ月で $24,000 集められrた。
だれもクレイグモッド 25万ツアーは買ってくれなかった。

すぐに、50万いっていた。
すごく面白い経験になった。
一ヶ月で 300人にファンになってくれた。
 それはお金よりも大きいこと。
300人だけだけど、300人の大ファン。
ずっとこの 300人と会話しているから、親しくなる感じがする。
結構デジタルをうまく使って
新しい会話が生まれている感じがする。

出版の数字的なもの
$20,000 = 1300冊。
1300冊印刷できた。
+前売りの流通大、3ヶ月の給料。出版イベント。

その前までは 1500冊しか印刷していないのに、
一冊 3300円かかっていた。

July 2008 - Jan 2009
$5,537,77 しか売り上げが入ってこなかった。

KickStarter をやる前はもっといい方法があるんじゃないかと思っていた。

今回 一冊 4500円。
この売り上げで次のプロジェクトに行けない。
販売はもう $5,148,00 を超えている!!

これが新しい出版のやり方。
投資とマーケティングと読者のつながりが全然地合う。

2前と今年とで同じものを作ったが全然違う。
売り上げを次のプロジェクトに持っていける。
Amazon のサービスはアメリカの銀行でしか使えない。

Story telling

http://hitotoki.org
を作った。
このサイトのコンセプトは
街の中で動きながら、思い入れを地図につけて、思い出を書こうというコンセプト
雑誌記事をイメージ。
500ワードの奇麗な編集をした。

時間かがりすぎ。簡単に参加できない。癖にならない。
デジタルをうまく使っていないと思っていた。

短い言葉のかたまりで、
Twitter のように表現できるのではないか?

Twitter が Geo API をだして、Tweetie のせいで癖になっているんじゃないか?
長い文章をつくるよりも、短いストーリーテリングのスケッチが
できるんじゃないかと思った。
スケッチをいれたら、後で書きたい時に長くかけるんじゃないか。

長い文章で編集されているのは大切なことだけれども、
最初から長い文章で編集されている必要は無い。
ストーリーテリングを。
ここにいる自分が写真を撮って、Geo の GPSで全ての情報を
hitotoki がマッピングして、東京の中でひとときが起こっているのを
見せることができる。
東京の中とか、世界の中の活動とか hitotoki を見ることができる。

ストーリーテリングのエンドポイントは変わらない。
丁寧につくられている長い記事が簡単に楽しくできるんじゃないかという考え。

できあがっている部分を見るだけではなくて、
出来上がるまでのシステム。
作家の書き方、出版社の作り方。
もっと大事なツールはデジタルのツールやデジタルの書籍が
面白くなる。
別にビデオを入れたりとかじゃなくて、
できあがるまでのできあがるシステム。
デザインの考えかた。
システムを意識すると、システムのデザインができる。
コンテンツができあがるまでのことを考えて作ることができる。

Thanks!
craigmod.com
prepostbooks.com

Q: 日本で出版社は恐竜的に動いている。日本ではどうするつもり?
A: がんばった方がいい。以上。
  けっこう難しいと思う。
  この世界で使われているアプリは、海外からきている。
 日本のマーケットの良さは、日本だけ、日本以外を考えなくていい
 楽しくて集中できるので、日本のコンテンツに合わせたアプリを作れる。
 僕は 19歳のときに紀伊国屋にいって感動したのは、
 本の美しさ。日本人はいちばん本のデザインをできる人。
 ミニマルな感じで、どんな安い本でも奇麗。
 ある意味、iPad に retina ディスプレイが、紙のデザインが iPad に
 もっていけると思う。日本語の細かい線が表現できる。
 日本人のデザイナーが楽しめることを期待している。
 昔からの出版の流れでなくてもいい、自分で出せばいい。

Q: アートスペース東京で、電子でうまくいったという話があったが、
  最初に物理的な本があったからうまくいったんじゃないか??
A: 役に立ったけど、kickstarter で何にも出来上がっていないところから。
 オバマの選挙のデザインに関して 1000万円くらい集まった。
 5月に facebook 反対に、ダイアスポラ NYU が新しい facebook を作るよ!
 と kickstarter に載せたら 2000万円集まった。
 Twitter をうまく使ったり。何も出来上がってなくても 100万円とか
 集まりやすい。
 30万とか40万でも、全然本が作れる。
 このプロセスについて、craigmod に行けば、
 この本に関して全ての活動がわかる。

Q: 自分の作品をいかにして読んでもらうか?
 アマチュアでプロを目指しているコミュニティがあって、
 「他人に伝えたい」という熱意はお金と関係無い。
A: 別に人が読まなくても出せばいいんじゃない?
 次を考えるのが重要。
 お金をかせいで、次を作るのが重要。

Q: 質感を気にしているのが伝わってきた。
 デジタルだけじゃなく、物理的な本の質感を売るため。
 hitotoki で完成された文章を作りたいというのを聞いて。
 簡単にクオリティの高いものを作るために、簡単にいくものなのか?

A: そうね。Wikipedia は分かりやすい例。
 どうやってクオリティの高い記事ができるか、
 皆が謎だと思っていた。できあがっていたシステム。
 変な記事があっても人が気づくシステム。編集できるシステム。
 hitotoki の場合、皆が奇麗な文章を書かなくても、
 簡単につけられる。どんなにゴミがあってもいい。 
 別に自分のために文章を書いているだけでもいいし、
 すごくいいのは簡単に編集者
 一番大切なのは「編集者」やキュレターが一番大切。
 hitotoki で編集者セレクションができたり。
 いい文章を書いている人が有名になったり。
 品質が低い文章というのは、無視していい。
 コミュニティのシステムで、けっこういいのがでてくる。
 あまり気にしない。
 僕らが何もしなくても、自然にでてくる。
 参加できる壁を低くすることで、でてくる。
 ゴミが増えるに違いないが、いい文章も絶対に増える。

Q: 電子書籍の未来はどうなると思いますか?
  まだまだこれからの世界だと思っている。
  旅行の本とか、全然無い。そういうのがあれば。

A: まだ早すぎる。iPad のアプリもそんなに買いたいものが無い。
 やっとちょっとでてきた。
 本をどうやってデジタルにするという質問から進んでいない。
 ガイドブックに期待しているけど、そんなにいいものがない。
 wall paper も、まだ浅い。

Q: 作者と読者のつながりが十分にできている。
  これからは、編集者が重要になってくる。
  今後電子書的の時にどういう役割、どういう関わり?

A: 出版社はもうなっていると思う。
 デジタル時代の出版 A Book Apart という出版社とか。 
 Web の HTML 本をいろいろ出しているところ。
A list part という読者コミュニティがあって、
HTML5 について書きたい人がいて、
Twitter で 5000人がフォローしている人がいて、
自分で出版してもいいんだけど、何十万人が
コミュニティになっているところが広がる。
1冊 1800円。印刷は 200円/1冊くらい?
儲かっている部分を著者を半々にしている。
一ヶ月で500万はいってくる。それはもう普通じゃない。
まだまだこれからも売れるし、簡単に給料が入ってくる。

Q: 本が好きという立場で、電子書籍に対するフラストレーションは?
 他の人に貸せないのがフラストレーション

A: 20時間くらい話ても大丈夫?
 ほんとにこれは別の発表になるんだけど。
 本をデジタルにするということだけを考えている。
 どういった良さがあるかということを考えた。
 craigmod.com にエッセイを書いた(日本語版もあり)
 kindle は ibooks に何が足りないか?
 「テキストが触れない」感じがする。
 特殊な刑務所にとらわれている感じがする。
 デジタルになっているクセに、テキストをいじっている感じがしない。
 kindle はいろいろ進んでいる感じがする。
 GOogle Books もやってくる。GOogle は最近 evil になっているけど。
 今が一番面白い。
 5年にたったら答えがでてくるからつまらなくなる。
 今の数年感が一番いろいろなことが決まっていく。
 いま発表するのは楽しい。

8/10/2010

[&] Design+UI+DigitalBook

デザインとUIの視点から考える電子書籍

■トークショーのログです。抜けていたり間違っているところがあるかも。

個人的なまとめとしては。
「紙の雑誌のデザインはほぼ完成系にある。
 iPad の縦と横のレイアウトデザイン、エディトリアルデザインは
 現在は模索中でしかない。これから手法とテクニックが確立していくハズ」

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デザインとUIの視点から考える電子書籍
K:木下誠(HMDT) / H:長谷川 (コンセント) / S:川崎 (アレフ・ゼロ)

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自己紹介

K:
HMDT代表。今日のイベント急遽参加することになったのですが、
場所柄デザイン関係の方が多いと思いますが、一人プログラマの立場から
参加させていただきます。
HMDTの代表取締役。2000年くらいから MacOS X のプログラミングを
細々と続けていました。その時期を脱して iPhone が登場して
急に脚光を浴びて面白いことをできるようになってきました。
現在 AppStore に 30以上のアプリを公開しています。
また、いくつかの Mac , iPhone 向けの本を書いています。
今まで開発した iPhone アプリが色々あります。
駅単エキスプレス、大辞泉、iマンダラート、キャッチザエッグ、ARモンスター、

今日の主題に関するところですと「歌うクジラ」村上龍、音楽が坂本龍一の電子書籍
今日はよろしくお願いいたします。

H:
実は資料を作り忘れたので、リアルタイムに書こうと思います
Information Architect という職業を名乗って、
web サイトの設計やプロデュース。コンセントという会社の代表をやっております。
IA ということをやっている。
Architecture となると「構造」となる。
Architect と Architecture は 1対1 に対応していない。
リチャード・ソウル・ウーマン RSW
リクルートの From Aナビなど。
情報を探すような Web サイトの設計。
サントリーのデスクトップナビ? 食育用のコンテンツ。
何かを Flash に起こすのではなく、編集プロデュースを行なっている。

IA だけを指すと、Webサイトのサイトストラクチャー、
サイトの構造とか、その中のナビゲーションなど、設計を会社の中ではやっている。
IA の立場と、User Experience Designer という立場でも話をする。UXDと省略する。
これは何かというと、従来人があって、コンピュータなどの物があって、
この環境全体を作る仕事。
全体として使う人にどういう体験を与えるかということをデザインすること。
最終的には UI を作ったりするが、全体の文脈をとらえて、
デバイスや、情報を出す限定度合いなどを設計する。
今日は電子書籍から述べさせてもらう。
電車の中で使う時には? など状況を決めることや、調査することや、
製品のターゲットユーザーを調査し、どういう状況があり、どういうデザインが合うのか、
正論を、企業の製品開発のお手伝いをする。

S: iPad 自体も色んな環境に持っていかれるので過酷な状況にある。

H:わりと現実的には、持ち歩いて携帯端末に使っている。ノートパソコンの代わりに使う。
 今買っているのはそういう人が多い。今を観たマーケットを考えると、そういうターゲット。
 海外の物だと子供向けのコンテンツも開発されていて、マーケットとしてどう延びるのか?

S: 木下さんは持ち歩いていますか?
K:会社ではたくさんあるが、個人ではまだ持っていない。3Gモデルの予約を待っている。
 3歳の娘が良く使っている。3歳児専用マシンになっている。
 3歳だと字が読めないけれど、YouTube のアイコンを探して、
 自分の観たい動画を探してみている。
 字が読めない子供も使えるのであれば、本当に使いやすいんだろうなと思う。

S: 自分はアレフ・ゼロ、リアル「紙」の人。Webはやっていない。
 電子書籍がでてから、やっと腰をあげようとしている。
 紙系からきているが Newton から触っている。PDAと紙がやっと融合するのかなと
 いうところが気になっている。
 今日は司会をしながら、エディトリアルデザインというのがやっと電子メディアの中で
 語れるようになった。「レイアウトの教科書」「魅せるデザイン、語るレイアウト」
 古くから紙のようなものをどう読みやすくするか。今日はそういう面で、堅物っぽい司会を。
 今日はそれぞれの立場でしゃべってもらう。

S: まず最初に。どういう順番で観ていこうか?
 紙のレイアウトをそのまま電子版にしたもの。いわゆる自炊。
 PDFのようなものから観ていって。一点一点観て行こうかなと考えている。

■日経ビジネス / AERA
 ぺらぺらめくるというパターン

S: エディトリアルの立場から言うと、
  画面の出方。雑誌の立場からいうと、縦組と横組がある。
  縦組の場合は、左から右へめくっていくのだが、
  最初、横組と同じ方向で出てくる。いきなりそこに引っかかる。
  ヤッパのシステム。
  本なら閉じてあるので、どっちでもめくるのだが、iPad の場合めくる向きが変わってくる。
  挙動がおかしいなと思っている。

K: 私の立場からいうと、アプリが落ちてはいけない。
 立場を明らかにしていくと、iPhone はドリルダウンというインタフェースになっている。
 一番最初におおまかなものがでてきて、選択すると、細かい項目になる。
 左から右というのが統一されている。
 雑誌を選択するところまでは、左から右というインタフェースなのだが、
 雑誌を選択した後に右から左にページをめくるので変に感じる。
 別なアクションを入れる。アクション、かっこいいエフェクトを入れる、
 ここからは書籍だよ!というアクションを入れる。

S: 最初に教えてくれるとわかりやすい。

K: 「とじ」を擬似的に見せる。iBook は左側に背表紙があって、右側にとじがあると、
 どちらからどちらにめくるのか分かる。
 問題は逆とじの本が作れない。

H: iBooks 厚さが嘘っていうのが IA的には良くない。
  何枚めくっても厚さが変わらないのが良くない。
 今の話のとおり、どっちに動かせるのか分かる。厚さの情報が嘘なのは残念。

K: プログラミング的に難しい。本当に厚さをどうするか?
 20ページは薄くする?500ページの本の時厚くするのはジャマになる。
 どこまで本物の本に近づけるかは議論になる。
 コンテンツを重視した方が良いか、議論になるところ。
 付加情報を与えるという意味では厚みが変化してもいいと思う。

S: 読書計画がある。無意識の計画。こんな本かったら、読むぞ〜 とか
 フリーペーパーならぱらぱら見ればいいか。
 分厚い本なら意欲のある本を買う。

H: 一期一会、目に留まったら買う。読む以上に買う。積ん読になる。

K: 厚い本だと気合いがはいる。
 これを読むと凄い人になるんじゃないかと思う。

H: AERA の話が本質を全部言ってしまっている。 
 厚さが分からない。UXの世界でも達成ゴールが分からない場合は、脱落しやすい。
 楽天でオンラインショッピングする場合も、何ページ登録するのか、
 残り何ページ、ステップナビゲーションで見せないと脱落者が多い。
 無意識の読書計画に寄与していて、わりと本は気合いを入れるとは別に、
 いいのか悪いのか分からないが、推理小説を読んで、終わりそうなのが分かるとか
 その本が何ページあるかどうかを知りたいのではなく、ストーリーを読みたいのに、
 本というメディアなので、話が終わることが分かってしまう。
 上下刊あれば、まだまだ終わらないぞと思う。漫画の連載のようなもの。
 終わりがいつか分からないメディアの捉え方をしなければいけない。
 紙も必然としていたわけではなく、結構大きなメディアを扱う時の違い。

S: 本のここらへんまで読んだ。というのを本質だろうか?ということは気にしている。
  そこに頼っている。映画の中で、有名な俳優がチョイ役ででていると、気になる。

K: 最後まで読ませる
 脱落者は、電子書籍でも同じこと。後何ページかどうか分からないところで
 読み続けることができるか?
 社内で全員で読んでみたが、わからないと脱落してしまう。
 本来こう有るべきだというものと、実際読んでいる人がどう思うか?
 アプリ作っている方としては、最後まで読んでほしい。

H: 脱落してしまうのは、本としての振舞いがなってないので、
 ネガティブなところをゼロにする。厚さで分かってはいけない文脈。
 厚さが分からないように、コンテンツの力で引っ張っていく。
 確信犯的に。
 村上龍の場合は、わからなくてもついてくる読者はいる。
 読むのが大変なものなら、いつ終わるんだろうと、脱落してしまう。
 同じテキストとしてもある。
 
K: さっきとは反して、上からスライダーでてきて、タップするとどこを読んでいるのかわかる。
 機能的なアプリケーションを作るというよりも、
 村上龍の作品としてつくる。村上龍が iPad でこういう作品を作ったというもの。
 書籍アプリケーションとしては機能が少ない。
 フォントサイズが変えられない。横書きだけで縦書きできない。
 こういう作品にしたいという形。
 フォントサイズを固定にしたのは、ページ数を固定にしたいという意向から。
 変なところで改ページしてしまうのを避けたいから。
 音楽をつけるという試みをした。音楽を小説の内容と深く関係していて、
 このページから、このページまでこの音楽を流したい。というのが細かく指定されている。
 こだわりはものすごくて。キーワードがそのページの真ん中に書いてあると、
 ページがめくってから 10秒後に音をならすなど、1つの作品として作り上げた。

H: 凄い読むのが遅かったり、早かったりするのは許容しているんですね。

S: 京極夏彦は、横にも縦にも、拡大もできる。
 こういうところで作家性を出すという行為は?
 紙を選ぶとか、装丁の特殊処理を選ぶとか。
 今は作家に主張があって、作家性がでているような気がする。

H: 二人とも小説家なわけで、今後小説家という職業がどうなっていくかわからないが、
 こういうことをやりたいという試みは良い。
 効果的か?効率的か? 本当の意図に対しては意見はあるのだが、
 作家として、本人の納得度のこと。
 クリエイティブディレクターが小説家。
 それが嫌なら読まないでいいよ。ということ。

S: 装丁のデザインをやっているとき、紙、行間や行長のフォーマットを作っていくのがデザイン。
 ここでどこまで見せてあげる。何ステップ見せる。
 装丁家の仕事になる?

H:基本は、一般的に読みやすく。読んでいる人が読みやすく。
 デザイナーがやるべきこと。
 装丁は読みにくいことが分かっていて変な書体を使う人もいる。
 それと同じだと思っている。
 作品だと、思う。
 ただ、最適化されているかというと、されていない。

S: 認識の問題。
 デザイナーの認識が拡張されないとできない。
H:「デザイナーがいらない」と村上龍は言っている。
K: デザイナーは居るが村上龍が判断している。
H: 文庫本にするから、書体はどうするなどはしない。
 デザイナーが担当する。
 完璧に最後までコントロールする。デザイナーが意見を言う場合違う作り方がある。

K: 紙のデザインは詳しくないが、歴史があって、試行錯誤を重ねていて、
 完成されている。美しさならこう、と形ができている。
iPad はまだまだこれから、完成は無い。
結構なんでもやりたがりの人が、なんでもやってしまう、未成熟な世界。
iPadの世界で信頼できるデザイナーがでてきたら、そちらにまかせる。

H: 京極夏彦は InDesign で自分で明確にデザインしている。
 テキストを読まれることにしか興味の無い、物書きもいる。
 それであれば読みやすければ良い。
 扱いは結構変わってくる。

S: 京極さんは、ページの中のレイアウトは良く考えている。
 クジラの方は紙にシミっぽいもの、テクスチャがある。
 ページめくりアニメーションが大変だった。
 めくる時に、ゆるやかにカーブして、めくった時に紙がくるっとしているのにそって歪んでいる。
 一番多いのは紙がペタッと折ったようにするのが簡単。
 Apple が iBooks でやっているから簡単?ライブラリを公開していないので自分で作るしかない。
 i文庫の方は指の位置がページからずれても動作する。ページが折れているだけ。
 そのへんはプログラミングのこだわりでやっているが 0.1〜2秒だけどあまり気づかれない。
 
H: 京極夏彦と村上龍作品、エディトリアルとしては?
S: 読みやすく作ってある。
 クジラ:横組のみ、縦組は無いのだが、良く読める。違和感は無い。
 ちょっとお年をめして、老眼の方なら辛いかもしれないが。普通に読める。
 行間もちゃんとしているし読みやすい。
 ページの中の文字量として、一ページ読んだ。
 京極:級数は変えられない。電子ものだから大きくしている。古めの書体を使っている。
 クジラの方が現代的なフォント、小さめでも読める。

K:iPad に内蔵されている。ヒラギノ明朝
S: 京極さんの方は合成フォント?

H: 級数級数という表現がでてきましたが。
S: 文字サイズのことを級数。ポイントで表現。Q数。インチのクォーター。1Qは0.25mm
 歌うクジラでは 13級くらい。普通の雑誌くらい。もともと日本の単位。
 単位としては、歯車の1単位を級(歯)としている。

H:級の存在は知っているけれど、リアルで使っていなかった。
iPad で、いくつかのプロジェクトを動かしている。
コンセント社はポイントやピクセルで話をしている。
あるところから、画面の画角が決まっていて、132dpi で解像度が決まっている。
絶対値の見えるサイズで話をした方がいい。
紙と比較して読みやすいとか、大量に読めるとか、ポイントの話が空虚になってきて、
途中から「級」になった。
Photoshop でプロトタイプを作る時は、級の単位が無いので、
UI を設計する側としては、要素を置いていく感覚だった。
HTMLは大きさを規定するものでは無いので。
意味情報だけを記述したという経緯があった。
実際に指で触ると指が届く届かないとか、物理的な制約で考える。
Kindle もやれることは減っているが、これまでとは違う UI の設計とか
考えとか。
相対的な比率としてポイントとして考えていたが、絶対値の大きさで考えるようになったのが
変わってきた。

S:固定サイズがあるのが魅力。
 iPadの中でレイアウトが可能なんじゃないかと。
 紙の人間がムズっとするところ。
 指で触ると何かが起こるということに関しては全然わからない。

K: 指で触ると何かが起こるというのを作ると、
  小さいのが作れない。Macで作ると小さすぎて押せない。
 iPhone の場合、ボタンは最低でも 44x44 と制約を作った。
 
S: 間が詰まっていると触れない。
 リアルなサイズ。紙の文字のサイズを気にしていたが、
 触ることは全然考えていなかったので、
 Web のインタラクションとも違い、触るということ。
 IA で言うと、Webだけでは無い。タッチインタフェースも。

H:情報設計の観点からいうと、それぞれのデバイスで最適化されているべき
 紙は無くなる?
 Webも無くなる?
 Webサイトに最適化するというのは、過渡的なもの。
 見えるデバイスごとに最適化するように、今後なっていく。

S: Webサイトが無くなる?
K: 言い出したのは私。
 紙とか、新聞、雑誌は、Webでもでている。
 今後スマートフォンや、iPad のアプリという形態でもでてくる。
 記者が書いて、紙向けの変換、Web向きの変換。
 さらにスマートフォンになると、手間をかけるのか、
 どれかが無くなるのか?
 
 紙は無くならない、Webが無くなると思っている。
 デバイスごとの最適化。
 iPhone や iPad が成功したのは、UIを最適化したことになる。
 iPhone OS は Mac で使われていた MacOS X を改造したもの。
 その時に Apple はきちんとしたまじめな仕事をして、
 OSの根幹部分はそのままだが、UIはタッチスクリーンに最適化した。
 デバイスに対して最適化した。
 ユーザーに対して心地よい体験を提供した。
 既存の Web ページは PCパソコン向けに最適化されている。
 iPhone で見るには最適化されていない。
 デバイス向けに最適な表現は、今の時点では「アプリ」
 今後、最適化アプリがどんどん増えてくる。
 その後、Webは無くなる。 それが私の願望。
 Web としては衰退する。Webをブラウズするなら PC よりも iPad.
iPad で最適化ページが増えてくれば、PCでWebを見るのは減ってくる。

S:家で使うのであれば、iPad でWebを見る方が使いやすい。
H: 今の話と近いところも、違うところもある。
 iPad / iPhone のアプリとWebブラウザは一度使ってしまうと、あまり違いは無い。
 パソコンでもすごく良く使うページは、自分用にアプリ化してしまう。
 Google カレンダーアプリを作れてしまう。ブラウザを専用アプリ化できる。
 自分の中でやっている作業としては、アプリを立ち上げる作業に近い。
 そうなっていく。
 作業効率のこともあるのだが、どういう形が一番良いのだが。
 今の新聞のWebサイトはどこも良くないと思っている。今後変わっていかなねればいけない。
 それぞれが適切なメディアフォーマットを模索しているところ。
 新しいメディアフォーマットを作るというよりか、半アプリ化していく。

H: PCはどれくらい残るか? マニアックなものは皆が使わなくてもいい。
 
S: 確かに、アプリ風にWebが立ち上がる。
K: Webページがアプリとして使われるというのは、その方向に向かう。
 プログラマからすると、どっちが効率が良いか?
 これからの使い勝手を考えると、作りやすいし、適したものを提供できる。
 HTMLでは表現力も作りにくさもある。
 ユーザーの観念としては、汎用的なものよりも、専用的なものを切り替えて使う気がする。

S: 紙が残るという話で言うと、棲み分けがおきる? 
 PDFっぽいものは工程上必要。歴史上必要だった。本をiPadに載せるには便利だった。
 これからもそうなるのかな? もう少し別れるのかな? と思う。
 見開きという感覚は、iPad では要らない。
 見開く必要は無いと思う。1枚でタテヨコとなるのが iPad としては自然かなと思う。
H: 平たい板なので、見開くも何もない。
K: 漫画だと見開きで一こま作ることもあるので、見開きでないといけない。
 過去の資産を
 紙であったものを電子書籍を生かす。これはしょうがない。
 これから作るコンテンツ。一度紙でだして見るのか、
 iPad用のレイアウトで作るのか。
 紙のレイアウトは完成しているが、iPadデバイス上ではまだまだ。
 エディトリアルデザインの人にがんばってほしい。

S: 一番どよめいたのは WIRED magazine. 縦。横。デザインは2倍やらないといけない?
H: 制作費は変わらない?
S: 正しいというか、縦と横で読みやすい長さにするべき。
K: 時間をお金があれば、縦も横も、最適なレイアウトにしたいと思いますか?
S:固定にしたいと思う。
 紙の版形はあるが、少し紙取りを調整することがある。
 雑誌でない場合は、いろんな形にできる。
 横長で観てほしいというのはある。縦で観てほしいというのはある。
 縦横になる意味はあるのか?
H: 読む人が欲しいのか?
 1.5倍なのか、2倍なのか、手間がかかる。
 手間がかかる。コストになる。
 縦横デザインがあるので、本が倍の値段になるのか?
 モードが違う。やれることが違う。
 ということであれば、縦横、レイアウトの違い。与える価値が違う。
K: 極端なこと、表示するコンテンツが違う。
H: Wired はとりあえずやれるだけのことをやってみたもの。
  作る側がどちらが良いか選択し、
  適した見せ方。
  雑誌はページ1枚ではなく、一冊で見せるのが雑誌の個性。
 次にどうつながっていくのか、自分の盛り上がりが熟成されるのか
 後日資料として使えるのか? 
 横向きの見せ方と縦型の見せ方が混在したような見せ方があってもいい。
 斜めにすると読めるとかでもいい。
 編集をする側の意図みたいなものをとても依存してくる話。
 小説の文字サイズや、UIをこういう形にするのか。という話に近いもの。
S: 意味をもって回転させたい。まわしてみるとなると、
 エンターテインメントなコンテンツ。
 ビジネスの人にiPadをまわすとなると、変に思われる。
H: まじめか不真面目かという話ではない。
 読みたいと思う時に、映像が混ぜられるのが嫌。解釈の問題でもあるが、
 映像が入ってくるとか、拡大しなければいけないという、
 流れがあるところをズームしないと続けて読めないのは
 ハブ&スポーク型。
 普通の新聞は、右上から左下まで、読めて、読み飛ばせて、
 そこの流れを阻害する UI は淘汰されていく。

S:読んでいて新しいしいんだろな。サマリのページから、個別のページに飛んでいくのが怖くて
 しかたない。本や雑誌を読んでいる気持でみていると「怖い」感覚がある。
 そこの心構えというか、読者にどう見せるかといったところには危ういところがある。

K: 1ユーザとして使うと、今どこに居るのかが分からなく、迷子になってしまう。
 通常の本であるとシーケンシャルにならんでいる。仮にジャンプするとしても、
 どこの位置にいるのか、わかる。
 ペラペラとめくれば、自分がどこの位置にいるのかわかる。
 プログラム的には一瞬にめくれるが、時間をかける。

H: パン屑ナビゲーション。Webサイトを観ていると、>>>でリンクを表現している。
 階層を表現することに表現する場合が多い。
 ヘンデルとグレーテルのパンを置いていった話に由来している。
 応用例として、観ていた自分のヒストリーが残っているという形態もある。
 それで戻るという方法もある。あまり慣れられていない。
 ジャンプしてしまって怖いというのは本質。
 Wikipedia はそういうもの。もっと探すもの。情報探索というのはいくつかのモードにわかれていて、
 探索、検索、再び取り寄せる。自分の知っている情報を引き寄せる、可能性を見つけて拡げる。
 全体像をブラウズする。
 雑誌を見るというのは、受動的にお任せで観たいということの方が多い。
 探索をするとか、一方通行でテレビを見るように。
 選択肢があるという演出として見せることはあるが、
 レールの上を走らせるように見せるのか、選んで見せる、ガイドブックのようなもの?
 探す機能とかも必要。一方通行で見せるものなのか? でUIの方向性

K: コンテンツによるもの、パラパラみるもの、リファレンスとして。
 先頭から順に読んでいくもの。

H: Wired は雑誌的なもの。受動的なものであるべき。
 選択をさせるのは、目的がある時にそうさせるベキ。
 リファレンスなのか?一方通行に読ませるもの。
 注釈に飛ばさせるのものびっくりする。
K:読んでいる時に空気が台無しになる。
 電子書籍のための汎用的なビューアーは、なかなか難しい。 
 コンテンツを超えた汎用的なものは難しい。
 iBook , コンテンツを入れて読むという形のもの。
 i文庫HD、ビューアーで中のコンテンツを読むというもの。
 標準的なインタフェースを持っている。
 小説を読むには良いのだが、これで雑誌を読むには、リファレンス的なものを読むには?
 英会話の教育用のコンテンツ、ゲームの攻略本の場合は?
 1つの回答であるが、万能ではない。
 コンテンツごとに最適な電子書籍アプリが出てくると思う。

H: 今の紙の作家、何かあたらしい文学の形態だったり、小説の形態だったりが
 起こりうる。今までの紙の形態によらないもの。
 アドベンチャーゲームブックのような。
 コンピュータ上のゲームを紙の上でも楽しむ。
 選択肢があることを楽しむのはゲームでやられている。
 従来は融合するのが難しかった、新しい文学の形態なのかエンターテインメントなあるのか。
 模索なり、読むのがうざったくなるものも、

K: 新しい文学という形態でいうと「歌うクジラ」1つはなされていたのは、
 もともと雑誌で連載していたもの。
 紙はとっくに編集していて、作者はノータッチ。
 電子の方は、村上龍が最後の最後まで手を入れ続けていた。
 アップストアにあげる3日前まで文章に手がいれられていた。
 曲が入ったら、「こんな曲が入るならテキストを変える」
 小説家が自分の完成だけではなく、音楽からのフィードバックが起こった。
 
H: テキストと作家が相互に作用しあう。バージョンが変わり続ける作家。
K: 小説がでてから、バージョンアップしようという話もある。
H:その作家のライブにつきあう。
 一ヶ月ごとに結末が変わる小説とか。
K:この段階で電子版と紙版で内容が違う。結構ストーリーの根幹に関わる部分も変更している
 ファンの方は両方買うしかない!
S:手間ばかり考えてしまう。
 ジャンプの連載で行なわれている行為と似ている。変わり続ける。どこまでできるのか。
H:そのへんまでくると、ビジネスとしてどうなっているのかも影響している。
 漫画の雑誌連載は、単行本で売るために連載の形式で描くと作品が貯まるので、
 作家が書きやすくするための土台としての雑誌連載としての側面が強い。
 そういったビジネスの中で、今後どういった課金がされるのか?
 コンテンツの権利。読む権利なのか、持つ権利なのか、そのあたりでどういう書き方をすれば
 増えるのか。
 名前で買い手がつく人。権利をどう扱っていくのか?

S:ビジネスの話まででてきました。「これから」という話に。
  テキストビューアーがそれぞれ、ものによって変わっていく。
K:今、「さより」というフレームワークで作っている。
 クジラもそれで作った。書籍アプリを作る時のフレームワーク。
 二ヶ月後から半年くらいにでてくる。
 汎用ビューアーを作るのではない。
 新しいフォーマットがでてくると、音楽におけるCD
 何かコンテンツを流通すると、フォーマット争いがおきる。
 フォーマットが決まるとプラットフォームが決めてしまう。
 ePub が決まれば Apple が決めてしまい、コンテンツを出していけばいいよね。となる。
 2−3年後。電子書籍としては正しい道。
 アプリとしてみると、それだけではない道がある。
 ibooks にあったコンテンツは読みやすい。
 標準は大手に負けてしまう。 
 コンテンツにあった物を作るのが圧倒的に面白い。
 数年はいろんなアイデアがあふれる時代がくる。
 その後淘汰される。標準には無い、可能性を見せるものを作っていきたい。

H:汎用のフォーマットはUIや、内容が独立しているという概念。
 ePub があり。そこは融合したギリギリのところをやりたい。
 そのためには内容の編集そのものをやらないといけない。
 1つは「教科書/教育」読みながらもっと詳しく知りたいという興味を喚起するものでもあり、
 全体像を見せないといけない。数式ドリルは別。歴史の年表的な俯瞰したものの見せ方。
 世界地図と、年表と、おこっていること。
 でっかい地球儀があって、スライダを動かすと、人工がどう推移しているのか。
 宗教や戦争や、勢力地図が時間軸で見せることができれば、
 それで見せられる教育効果もある。
 内容とUIが融合した、書籍の文脈と離れるが。

 旅行のガイドブックみたいなものを作りたい。
 旅行のガイドブック、地球の歩き方とか。いろんな見方をしたい。
 詳しく観たい時もあれば、なんとなく観たい時もある。
 知っている街だけではなく。雑誌的な見方もしたいし、具体的にも観たい。
 Webの情報をつまみ食いして見ることもできるが。
 iPhone/iPad の中で完結するアプリは?

 「銀河ヒッチハイクガイド」知っています?
 メタファーとしては iPad みたい。
 小学生くらいに読んだ。究極的なガイドブックとして夢想していた。
 そういう影響もあってガイドブックを考えている。
 IA のソウルワーマン、ガイドブックでも面白いものがいっぱい。
 ガイドブック作りは大変だけれども編集冥利につきる。

S: 新しいメディアでると、受動と能動のバランス。
  受動的なものに能動を求めると皆が離れていってしまう。
  エディトリアルデザインというと、受動的なものを作っている。
 3D映画、最初は立体に引き込まれるが、みているうちにストーリーを観ている。
 上手に中身に飲み込まれるようなデザインが必要。
 iPad の中で実現できることがエディトリアルデザインの役目。
 
 編集の意味が変わってくる。もしかしたら変わってくる。
 大特集2本、連載○本という形が変わってくる。
 どうしたら雑誌として見やすくなるのかというのがデザインとして考える。

Q:一書籍に対して、1アプリ。
K:そこは。形態として3つ
  1書籍1アプリのパターン。
  出版社ごとにアプリ、コンテンツごとにアプリ。
  大きな「サヨリストア」を作ってコンテンツを作っていく。
  1アプリ1書籍ではなく、1つのアプリでコンテンツ管理をやっていく。
S:いろいろですよね?
H:利用者観点では、単独1アプリ、iBOok Store で買った本と Kindle で買った本と、
 同じ本棚から探したい。政治的な問題はあるにはあるが。

K:重要なファクターとして検索がある。そこで管理している全てのコンテンツに関して検索する。
 コンテンツフォルダーとの交渉。 
 一回どこかから買いました。フォーマットは未定。ビューアーで見るが ePub でも取り出せる。
 これはどのビューアー、デバイスに入れても見られる。こういうことを今企んでいます。
 ビューアーごとに購入しなければいけない不安感は払拭できる。
 そういう世界にまずはする。
H:現実はばらけている。
K:ユーザーが淘汰して、1つに決めればいい。
H:Kindle ストアにしか売ってない本がある。
 ヒントがある。横断して検索するのがプラットフォームの機能としてある。
 メタインデックスのようなもの。署名。著者名のメタインデックスが spotlight 検索できるようになるといい

S:Webで自分の本だがが作れるもの。
  ISBNベースの発想。

K: 電子書籍にもユニークIDがつけられる仕組みや、組織が必要。
S: iPad の Mac User のアプリがいっぱいある。
  自分の本棚になるのが、便利なのか、違和感があるのか。
  自分の冷蔵庫はコンビニだ。
H:各プラットフォームが争っている段階。それが淘汰されるまでは、どっちも囲い込んで
 こそくなことをやるので、残念。
K:囲い込みだとユーザーから愛想つかされるよという状況を作れるといい。
 iPad, Kindle を売るという意味では囲い込み戦略をとるしかない。
 著者はどのプラットフォームでも良い。
 ディストリビューションするところも、どこでも良い。
 iPad がデバイスでありながら.

H:結論としては全文検索。
  各アプリがメタデータを出して、統合検索して、必要なアプリが立ち上がる。
S:それは普及すれば起きますよね。
K:本棚アプリの情報を取れるけど、それは志が小さい。
 iBook を使わない、簡単なものが提示できれば良い。

Q:電子書籍のフォーマットに関して。大きくわけて、PDFのようなもの、ePub のようなリフローするもの
 このに2種類が現状ある中で、今後どうなるのか?
 
K:今後の流れでいうと、PDF と ePub の二種類でいく。
 サヨリの考え方としては ePub をベースとする。必要な情報をメタファイルとして追加をしていく。
 フォーマット的な言い方をすると ePub を拡張した独自フォーマット。
 ePub 部分は他のビューアーやデバイスでも使える。

 PDF にするよりは、画像に吐き出す方が利点が多い。
 PDF にした時の利点というのが、今の作り方ではそれほど見いだせていない。
 画像+テキストデータで扱っていない。

Q: 教科書を作っている。ePub だとできることが限られている。ePub だと作れない
K:新しいプログラミングの本を書いていて、紙版と電子版を同時に出す。
 電子版をHDMTで出す。数式が出ないのであれば、電子版に実装する。
 ソースコード専用の機能を加え、電子版の中でプログラムも動くように。無ければ作る。

H:汎用の教科書や技術文書は?
K:TeX を使えばいい。リアルタイムコンパイラ。Tex を書ける人?エディタは?
H:ワークフローとしてどうすれば良いか。
 TeX はレイアウトの癖まで定義できる。アルゴリズムで書ける。
K:TeX をマスターしている人がいれば。
H:昔ワープロがしょぼかった時に数式もレイアウトも記述できる言語が TeX
 今でいうと CSS のようなスタイルが定義できた。
 原理的には内容とレイアウトが分離している言語で、いちばん美しい
 学会の論文誌だと、論文誌の TeX スタイルフォーマットがあった。

Q:クジラを観た時、iPad じゃないと見れないなと思った。
 他のフォーマットは差別化できていないが、iPadで読むのに価値があるのは、
 音や動きが入ってくることに意味がある。
H:コンテンツを企画する時に出来ることがいろいろあるので、
 総動員して邪魔にならない効果が出るにはどうすれば良いのか?
 Web でコンテンツを作っていたような人達は皆試みている。
 素材の扱いなど、作る方法論は決まっている。
 考え方は似ている。Webサイトでコンテンツを作っていたノウハウを意識して作っている。
 そのことについて語り合っている団体は無い。

Q:新しい作家さんがそういう環境に出していきたいというところが無いと。
H:デザイナー、プログラマ、作家、全部が一緒。
K:新しい人が電子書籍として発表する場ができてきている。
 同人誌や、作家が直接出版する。ノンフィクション系の作家や、ブロガーが書いたものを
 テキストで出せる環境を用意しているところ。
 出版業界、プログラム業界を見るとそういう動きを見つけることができる。
H:編集者の人のプロデュース作業、共同作用的なものがどう仕事として成立しうるのかが問題。
K:編集の人がとても欲しい。これから編集者の立場の領域は広がっていくと思われる。

最後に一言。

H:今回話しが、スコープが広かったので、グダグダにならないようにしようと決め、
 三者三様の立場があり、思い入れとかやりたいことなどがあり、
 トークセッションとして場が成立するのか?と思っていた。
 いろいろこの場で即興で即発されて言ったこともある。
 この分野に関わられている方に、何か思ってもらえればこれ幸い。

K:プログラマという立場で参加させていただきましたが、
 お二方に比べると夢の無い話になってしまいました、
 手を動かしている人間なので、今の技術ならできるできないと言ってしまったが、
 未来の話を触発されてできたのがうれしかった。
 もしデザイン系の人達では、全然違う人の話を楽しんでもらえたら幸いでした。

S:一筋縄ではいかないな。今日の話が、触発されていれば。
 こういう新しいメディアの何かになるかなと。

photo

8/09/2010

[&] takram * Sou Fujimoto

AXIS JIKU
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田川欣哉&藤本壮介のクリエイティブ・トークセッション in アクシスギャラリー

T:田川欣哉
F:藤本壮介

■物の生態系

F:今日は10個キーワードだしながらバトルするという1時間ぐらいの企画
先ほどお話があったように、もし田川さんがご都合があれば是非という話に。
去年のミラノサローネで展示、ある意味建築と違う部分と、同じ部分とがあって、
感心した。刺激をすごく受けた。
その時もちょっと話したんだけど、あまりその後話していなくて、
もうちょっと突っ込んで話してみたかった。

ここに打ち込んでいきたいと思います。
あたまに思い浮かんだのが「物の生態系」
白熱電球が亡くなって LEDがとってかわるというのが起こりうる時に、
どう東芝としてプレゼンテーションするかということだった。
LEDの光源を使っているんだけど、白熱電球の形をしているもの。
触ると小動物の鼓動のようなものを感じることができる。
というインスタレーション
たんなる技術でも無いし、単なるアートでもない、
うまくミックスされたもの。
かなり感動したんだけど、
あるものをデザインする時、歴史を持っている白熱電球とLEDの
間にある関係に形を与えるだけではなく、サローネの短い期間でどうセッティングするか?
子供が引っ張った時に落ちてこないようにいかに防ぐか。
高さの調整をどう簡単にするか。
そこでおこっている小さなことをプロダクトの意味として1つの世界を作っている。
ガラスを止めているピンにマグネットが入っている。
手に対する感触だけでなく、あらゆることをゼロからくみ上げていて、
1つの生態系を作り上げているのかと思った。

それ以外のプロジェクトは良く知らないんだけど。
そのへんの物を作るときの「感触」というか「考え方」を聞けたらな〜

T: 今、紹介して頂いた、展示です。

photo_08.jpg

150平米の入り組んだ空間。鏡を敷き詰められた空間の中に 100個くらいのオブジェが
いろんな高さでぶらさがっている。
東芝デザインセンターと、建築家の松井亮さんと、takram で手がけたプロジェクト。
オブジェクトに水が入っていて、
ふらっと会場に入ってきて、立ち話をしていた時に、
どちらかという超マニアックな話に食いついてくれた。

サローネとは、設営期間が短くて、コンセプトとしていろいろな空間を考えても、
72時間で設営しなければいけない。そのなかで全部を仕上げるのは難しい。
できるだけ完成度を高いものにしたかったので、東京で作り上げ、
現地での作業をゼロに近いものにした。
ドリルでねじ閉めの作業も無くし、ボディの接続もマグネットで止まるようにした。
天井のダクトレールにワンタッチでとまる仕組みなど、あらゆる面で考えた。

テーマとして出てきているモノの生態系」
デザインエンジニアリング、デザインエンジニアというコンセプトで会社をやっている。
最終的に人間が体感している時に、人間とモノとの対話、結びつきが
ごくごく透明、よどみなく何かが交換されている状況を作りたい。

水とかクリアで濁りの無い水。ここにふわふわ置かれていると、
急に物質として気になってしまう。
体験の邪魔になるものが無くなった特に初めて没入して「体験」するところに連れていける。
それを丁寧に作るためには、あらゆる設置のための方法、事項や、乱雑な環境などを
除いていく。
ものづくりはピラミッドだと考えてみると、土台の部分がケアされていないと、
先端のところで、気持ちのいいところに到達しないで物事が終わってしまう。

僕らが作ろうと思っているものには、そういうスタンスで細かい工夫が含まれている。

F:うらやましい。建築物は乱暴。
僕らも夢や理想。全てのネジひとつ、ブロック1つ。
全てのものが関係しあっていて、
単にものだけではなく、感受性も含んだ生態系だなと思った。
そういって立ち上がってくるものにあこがれる。
技量が無いのと、物が大きくて着いてこれない。
建築はいきあたりばったりなところがある。
プロダクト一個も建築1つと同じくらいの労力をかけて作られているとおもう。
それゆえの完成度。
最初に見えてくるのか? そういう問題がおこるの? いきあたりばったり?

T: 超がつくくらいのいきあたりばったい。
良く取材を受けていても、プロトタイピングでプロジェクトをドライブしていく。
プロジェクトをスタートした時に思っている時と、完成したものは一致したことがない。
問題に対して、解決しようとした副産物が物の特徴となっていく。
そういうタイプの物作り。

F:最初に考えているのはピュアな気がして、
実は最初に見えているものはそんなに多くないから、
行き当たりばったりで変わって。変わって、最後にできたものの方が
最初にイメージとは違うけどピュアな気がする。
そういう意味では安心しました。

■地と図

T: 最初にお聞きしてみたいなと思ったのは「地と図」というキーワードです。
建築を生業としていないので素人質問でしたらすいません。
いつも思うのは、建築の建物、柱、壁、床、天井の周りに気があったり、
模型だと人がいっぱいいたり、普通だとそうなるけど。

配られているパンフレットの模型の写真

middle_1107886812.jpg

これとかを観ていて「地と図」という関係が融解している。
どっちが地で、どっちが図なのか?
そこらへんをどういうふうな分解で考えているのか?

F:地と図は建築の基本的なところで、考えざるを得ないところ。
僕自身は、何かが、テーブルがテーブルであることで終わってしまうのはイヤなところがある。
他の何かでもあるかもしれない。
それはいろんな意味合いを状況に応じて帯びてくるというもの
建物は中と外というのが必ずある。いつも中、いつも外なのもイヤ。
建築はいろんなものが集まってできている。
家の中が家の中で終わってほしくない。
図と地が反転するとうことがある。A,B,C に変遷していくような、
そういう思考をしているような気がする。

10年くらい前につくったプロジェクト。階段のお化けみたいなもの。
座る高さくらいの段。座れるし、机にもなるし、
なんとも言えない手がかりがあふれていて、
座ろうと思った瞬間に「椅子」という図が現れてくる。
そうじゃないときは「椅子」は地の中にとけ込んでしまう。
意味合いが色々とらえ直したい。

T: そういう考え方に至ったのはなんなんでしょう?
F: 建築の人ってひねくれていて、普通に家に作るのはイヤ。
本当は家ってこういうことじゃない?と家を再定義したいところがある。
僕個人としては、建築する前にアインシュタインに憧れていた。
相対性理論を読むと奇想天外な世界観が展開しているが、
これを正しい世界として提案している人がいる。
世界の見方が違うアイデア。
そういう仕事をやりたいと思った。
物理学は相当難しくて、全く理解できない世界が大学で現れて、あきらめた。

建築やっている時も同じようなところがある。
「家」は何でもいいけれど、自分が考える時に図と地を、すっと反転させるような
違った見方ができないか、常に考えている。

■人とモノ・環境のの動的平衡

T: 建築を考えている時に、人間がそこに座ると意味が机になる。
同時にそこが隣の人にとっては椅子になる。
人の座り方で偶然に場所の位置づけが変わってくる。
デザインが無いわけではない、一応レイアウトがあって、
緩いルールが環境にあるときに、
人間がいろんな考え方をする、
動的に平衡状態にバランスして、
3人でたたずんでいる時に一人はいったいる、抜けたりするとまたちがった状態になる。
人と物とがつくる動的な平衡状態が、
建築はそういう状態をあるバイアスをかけて引っ張ることしかしていない?
僕たちが自分たちで物を作っていても、物側が
これはこれをするものです。
何か体験型の作品があった時に「ここで何々をしてください」というものを
作らないようにしている。
バランスをとっている状態を「展示」と呼びたい。

F:生態系という言葉で東芝のインスタレーションと考えたのは同じ
ものと人の生態系に正しい姿はない。
なにかした時に帰ってきて、その面白さ。

僕の場合は、動的平衡という考え方を、大学卒業した時に、
プリゴジーン散逸構造
たいがいは分からなかったんだけど、
それまでは建築は「機能」ということ。
寝るところは寝室。と決められていた。
かなり大雑把な決まりがあった。それによって20世紀の建築が変わった部分があった。
とはいえ、人間っていい加減なものじゃないの?

何か他に建築を作る、その都度にじみでてくる。
人間というもの、地形などが、関係次第で場所の性質が変わってくる。
局所的な関係で性質が変わってくる。
無秩序ではない、ゆるい仕組みがわかってくる。
床と椅子、大枠では決まっている。
床を無くしてしまえ、と段差にしてしまう。
何かに使えるのではないか。
くぼみがあれば、心地のよい場所になるのではないか。

同じような場所がいろいろ変化してくる。
それを考え直した時の最初のモデルに近い。
自分の原点でもある。

100年後でもこんなところには住めない?
ある意味原始的な部分もある。
動物的に人間が振る舞うところを拾い上げている。
人間の知的な部分と身体的な部分を、もうちょっと感覚的な部分を押し上げてあげる作業。

Screen shot 2010-08-09 at 21.22.52.png

病院の仕事をやって、
50人くらいの子供が住んでいる施設で、
なかのいい子供と、仲の良くない子供がいる。
自分の場所が見つけられない。
見つけられるように、いろんなくぼみを作ってあげた。
大広間から離れているが、視線は通る。
一片 6m のスケール。
素直に形を与えた中で、ある意味の動的平衡、ズレがきっかけになって何かが生まれる。

T: 僕らの場合はプロダクト系が多いので、人とモノの動的平衡。1対1が多い。
複数で人が動いてくると、環境と人と人とで何が起こるかわからない。
できるだけ逆に煽ってあげるような環境。
逆に鎮静するような環境。平衡状態を作るようなルールのルールを。
何かを作る時にどうやってデザインする、どうやって考えていくんだろう?

F: 建築家に必要な素質として、あるいい加減さ、割り切り。
コントロールできないことを図面化しなければいけない。
かなり矛盾をはらんだ中で進まなければいけない。
ぼほ全環境を作ってしまう。
わりとある種のいい加減さが求められている。
最後のいい加減さと熟考のバランス。自分の身体感覚。
こういうのがおおよその人間が
謙虚だけど断固とした判断が必要。

図書館を設計した時に Sato Taku さんにサイン計画をお願いした。
ある大きなサインと、小さなサイン、全体でプロダクト全てが持っている関係性、生態系に
こだわっている。
僕らは自分たちの建築の案があるが、それが持っている簡潔性が嫌な感じがした。
最初はストーリーがのっかってと考えたが、
あるレベルで調和しているだけど、ズレがあっていいし、裏切るところがあっていいと思った。

最終的には、イイ意味でのズレとバランスが融合したものになった。

T: 武蔵野美術大学におじゃましたんだけれど、サインが凄かった。

F: ガラスの裏側に本棚が入っている。
T: 本でできた巨大な迷路のような感じ。
F: 快適に迷えるというのがテーマだった。迷いたい時に迷えるが、ふと気づいた時に戻れる。
物が見つけられる機能と、迷うという正反対の機能を融合させるのがテーマ。
数字というのは図書館の中で 000-999 のナンバーがついている。
数字だけ見ると何のことだか分からない。
気づいた人しか気づかない小さいサインを作ろうと思っていたが、大学側に却下されてしまった。
分類が決まっているのを 方面を示す。

T: 7の群れがアートの文字の塊で7 になっている。

F: この時も、建築はいろいろ物があり、
どこまで人を固く縛り、どこまでいい加減なのか?

F: 僕の中でキーワードとして用意してきたものに

■森

素朴に聞いてみたいものを用意してきた。
「森」は好きですか?

T: 森というと、蛇がいっぱいいる危険なところというイメージ。
F: 木々の中で遊んでいた。森というのはどんなもの?無理矢理引き出すとすれば?

T: 漢字を観た時に、Tokyo Apartment を思い出した。

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対談が決まった後に、すごい思ったのは、一番上のブロックに行こうと思った時に、
行くのが大変。自然は人間に都合良くできていない。森はその象徴。
何か人間に都合良くできていない環境に人間が入ると、
手の長さとか、現代社会は、物を作る時に握りやすいとか、操作しやすいとか、
人間の体に合わせて「●○しやすい」ふうに作るのが暗黙の了解になっている。
人間が抽象的なものになっていく気持ちがする。
iPhone を触っている時、人間の感覚が無くなる。
Tokyo Apartment が人間の感覚を原始的に感じられる。
暴力的なところも含めて、人間らしい部分を考えさせられる。

階段状の作品も含めて、人間に合わせすぎるのは?

F: これに関しては、そこまで登りづらいと思っていなかった。
 はしごで登るのが大事。家と家の間に顔がでてしまう。
あえて階段を1本でなくて、途中まで登って向きを変えて登っていかないといけない。
便利/不便の境目はきわどい。
寝るための場所と言われても寝ないし。

T: 今までのプロダクトは、何ができるか? という形で物を作ってきたが、
機能がいっぱいあるリモコンみたいなものができてきた。
これを使って何ができるかに、変えていった方がいいかと思った。
寝室は寝るところ。寝ることができる空間が寝室?
寝ることができるのは寝室だけではない。
時代のテーマとしてあるのか?

F: 寝るってそもそもどういうところがいいんだろう?
もっともっと広がりそう。
建築はなんとなく
人間の生活がいい加減なので。
プロダクトは、はっきりしている。そうじゃないというジャンル。
より衝撃的となりうる。

T: ハイテク製品の方が目的がはっきりしすぎている。
フォークやスプーン、ハシは、何か他のことにも使える。
プロダクトの懐。
ハイテクなものだけれども、使い方を限定しないものを作りたい。
けれどもクライアントワークだと許されない。

F: つぼ押ししている人がいて、変な形をした物体。変な突起物がある。
たぶんつぼ押しに使う道具? いろいろやるとタマに気持ちいい。
ハイテクでそういうものがあると面白い。
テクノロジーと人間の完成が結びついて。
建築はローテク。建築で実現するのは意義があるし、住環境を作るが、先端ではない。
「森」便利さとか不便さとか、人工物とか、自然物とかを考えるきっかけになった。
最初から「本の森」と呼んでいた。
tak さんがサインをつけるという目的があって、森の中は情報が整理されていないのが面白い。
森に入るとどっちに行ったら良いか分からないというおおざっぱな情報から始まって、
近づいたら分かる情報。モグラには分かる情報、いろんな情報があふれている。
ゴミにしか見えないものも全部情報。
お互いに議論していた。
遠くからは数字に見えるけど、近くにいったら「アート」に書いてある。
人には見えないけれど、ネズミには見えるようなサイン。
使いにくいという話に繋がる。
情報世界が持っているなにか に対する思いは?

T: 仕事から情報にまつわる仕事が多い。
親父が新聞記者で、マスコミで、それの反動もあって、10年くらいテレビを持たない生活をしていた。
情報を遮断しようとしていた。
本をあまりたくさん持たないようにしている。
小さい本箱を持っていて、そこからあふれた本は捨ててしまう。
情報の接し方が変わっている。人とちょっと違う。
仕事で大量の情報を素直に届ける方法を考える仕事はたくさんある。
情報があふれた状態にはしない。
できるだけ触れている情報が少なくて良いのであれば、すくなくて よい。
情報を生み出すタイプ。道具に違い。そういうものを作る方が自分のやる気が出やすい。
図書館の中に入った時に「整理/未整理」のところが心地よかった。

パソコンの上で情報を消費するのではない、心地良い方法、
心地よい接し方、情報側が出力最大で迫ってくるので、
人間が制御するような仕組みが、原始的な接し方なのではないかと思う。
うまい具合の状態を、情報でどうやったら作れるのかと思う。重いテーマ。

F: コンピュータがとろくなる時がある。それだけですごく困る。
脳と一体化している。リアクションがうまくいかないだけで、うまく行かない感覚が強くなる。
図書館だと心地よい距離感がある。
情報との接し方としては良い気がする。
自分の頭の中の世界だけでは気持悪くなる。
takram がやっているのはプログラミング的なものとプロダクト的なものがうまく融合している
間を橋渡しすることができる人達。
建築は情報的なものにはタッチできなくて、
間を可視化するようなことができるといい。

T: 見た目がデジデジしているものはあまりない。
アナログとデジタルとどっちが好きですか?と言われるが。
デジタル的と言っているものは、ハイテクで人間にはまだ違和感があるもの。
アナログ的と言っているものは、人間にとってしっくりとくるものという分け方なのかな?
デジタルはアナログなカーブをデジタル分割していけるけど。
できるだけ人間が感じる感覚が自然に近づいていくる。
自然になったところで、環境に遊離してしまえるところだったり、
大半のプロダクトは、一歩目のところで壁がある。そもそもやるところまで到達できていない。
テクニカルなところとして、どういう状態にすれば、二歩目の話ができるのかな?
毎回ものを作っていく時に、二歩目の話ができるのかを考えている。
プロトタイプを作って、チューニングすることで、少しづつ近づいている。

■ローカルルールとグローバルエフェクト

T: 一昨年、伊東豊雄さんとご一緒した時に出てきたキーワード。
「風鈴」天井から 300個くらいぶら下がっていて、下を歩くと真上にある風鈴がなって光る。
自分の周辺に6個同じ形をした風鈴に、メッセージを投げて、近傍の6個に伝達する。

takuram-furin.jpg

光の波紋が広がっていく展示。
その時に考えていたキーワードが、ローカルルールと、グローバルエフェクト。
魚が群れで動いていく時に、魚の一匹一匹は、群れを作ろうと思っているのではなく、
自分と隣の魚と平行にするように、角度を保つように泳いでいる。
自然と群れになる。
ひとつ1つの構成要素がもっているシンプルな要素だけを決めておく。
群として振舞いや形状がでてくる。グローバルな効果がある。

個別のもの、全体のもの。
建築でも形の中で考えているものがある?
ローカルなルールで考えているもののはある?

F: むずかしいんですよね。
今の話興味があって、碁盤目に街を切っていくのは大きな枠組みがあって、
だんだん細かいところがある。魚の群れとは違う。
特に集落的なもの、時間をかけて作られた街は、そういうものがある。
外側からみるとルールは無いのだが、だんだん平衡状態でうまくいく。
それが次の建築だと10数十年前は思った。
建築は人の動き、振舞いを容認できるが、
同じようなことを建築でやると翻訳に苦労する。
不完全な翻訳しかできていないんじゃないだろうか?
誤訳も含めて、建築の可能性を拡張していける。

35cm という距離があって、
それ以外は否定されていない。
フロアの形とかをデザインしている。ある。大きなルールは入ってきている。
建物全体は規定しないのだが、局所的なものを規定すると
家というものが湧き出てこないだろうか?
考え方にインスピレーションを受けているが、それを正確に語るには無理がある。

入れ子という形を使った家がある。
局所的な関係性だけで規定される、マトリョーシカがそれにあたる。
入れ子は何かは何かの内側である。そのうえ何かの外側でもある。
それがローカルルールのある種の建築的は翻訳となるのではないか?
建築は中と外という問題と切り離せない。
不思議な入れ子状の建築は面白いのではないか?
誰かがこういった。外側は察知した。一番外側は何が起こっているかわからない。

絶対的な中はあるのだが、中なのだが外なのだが、宙ぶらりんのまま連続していく。
人が関わる時に豊かさになるのではないかと考えた。
インスピレーションをさなかに受けているが、
正確に建築に変換する技がわかっていない。
けっこう本気に考えている。
人がかかわってきた時に、ある種の現象が起こるのだろうか?
非常に興味を持っているのは確か。

T: 写真とかを拝見している限りでは、そのあたりが好きなのかと。
F: そこが限定。仕事も無いときに新しい建築は無いかと考えていた。
 いまだに追い続けている。
 最近は興味が多岐にわたっている。武蔵野美術大学の時は本を見つける。本を見つけない。
どちらが湧き出てくるのか分からないのが面白いと思った。
建築はある意味、不確定な要素が無い。
人間の多様性を受け止めるために、広大な領域を残しておかなければいけない。
最近はそういうところに興味がある。

T: そういう考え方をする建築家は多数派?
F: 建築家はそういうことをまじめに議論しない。
僕らの世代はそういうことをベースに何かを考えたい。
トレンドというわけではないか、何かがあるのではないかということだけは共有している。

■家

F: どういう家で育ったのかな?
T: 二世帯住宅。僕のうちは祖母の家の庭に、家を作って、その間を細い廊下でつながれている家。
 めずらしい家。祖母の家はしっくいで出来ているような古い家。瓦の感じ。
 住んでいた家はモダンな感じ。建築家がつくってもらい、施工した。
 両親はこだわって作った家のよう。
 廊下がすごく好きで、古い家と新しい家で床のレベルがちょっと違う。
 おばあちゃんの家にいくには下がっていく。開け放すと段差をもって繋がっていて、
 接続されている台所までは、おばあちゃんのゆるやかな領域。

F: ひとことで家って言っても、なかなかとらえどころが無い。
 家を設計している身でも。
 どういう家がこれからの時代、人々にとって豊かなのかな?
T: 今はマンションの部屋を借り手いる。
 オフィスを作った時は一生懸命つくった。松井亮氏にお願いした。
 小さい箱がいっぱいあるよりも、大きな空間の方がいい。
 箱を置いて、マーキングしてまわる。

F: 今工事している家、ご夫婦なのですが、 
家の中でプラプラどこで何するという感じではなく、こっちで何か、あっちで何かするような家
小さい床は段差をつけて、登れるくらいの段差を作り 20個くらい、床レベルの差があるような家
を思いついて、おそるおそる提案したら、いいねと言ってもらえた。ジャストフィットした。
マーキングしなたら住んでいくような家。

T: 必要な時に増えてくれるような家が欲しい。風船のような。
 ある時期場所が必要だったり、一日の中でも変わる。
 小分けの家よりも、大きな家の方がいいが、実際のところ出来ないので。
 寝る時には天井が低くなったり。
ただ広いだけだと寝心地が悪い。

F: 狭いとこ好きなので、寝るところは狭いところにしたい。
 育ったのが北海道なのだが、広いところに居るのは若干危険。
 雑木林で遊んでいると、閉ざされておらず、どこにでも行ける。
 あの感覚が快適さの感覚のベースにあるように思える。
 何もなくてだだっ広いと不安になる。
 閉じてない空間がいいところ。
 
■試行錯誤の方法

T: 建築つくって居る時の試行錯誤は?
F: 僕も聞きたい。普通にドロドロやっている。
模型と図面の比率は?
だいたい模型。頭の中のキャパがそれほど無いので、出していかないと。
スタッフに言うなり、模型として自分の外に引き出さないと思考が進展しない。

T: 作る模型は、何案か作ってみるのか?1案作るのか?
F: 色々並べながら考える感じがある。たまにある状況で「絶対これでしょ」というのは
 ごくまれなこと。
思いついたことを形にしてみて。
今やっているプロジェクトや昔のプロジェクトや、原始的情報空間があって、
そこをプラプラしながら、それらが生き物が進化していくように、
急にそれが、こういうことなんじゃないか。とドロドロと形になっていく。

T:実寸で模型は作れない。サイズ感がポイントになる。そこらへんのつじつまは?
F: けっこう最近、ようやく10個くらいの建築を作って、最初の5個はあまりうまくいかなくって、
模型で観ていて、良さげだな。大丈夫そうだな。というのは大丈夫だが良いスケール感なのだが、
つながりがあるのかどうかわからない。
実物が出来た時は、良い方に驚きをもって出来上がる方が多い。

そこに迷いを生じさせると無限にわからないスパイラルになるので、
決め所は、えいやっで。

構想段階の模型はいっぱいある。
1/20 の模型を作る。一回作ると、作ったはいいけど、簡単には変えられないあきらめがある。
物理的なあきらめも良い意味で背中を押してくれる。
相当無駄な作業をしているように思えるが、
その作業をしないと安心できない。
持ってみないと分からない時はある。
建築は、模型でも中を覗き込んで分かるし、全体の世界観の両方を
シームレスに確認することができる。やはり必要なもの。

Q: クリエイティブの技は
A:
F: なんか最近、事務所に行くとスイッチが入る。思考が始まる。事務所から出ると廃人っぽくなる。
  ただ、東京の街が結構好き。行き来する時も、街を歩くのは刺激になる。
  日本以外の国に呼んでもらう時もあり、違う気分になり新鮮に思える時もある。
T: とにかく自分が無意識に使えるものへのあこがれ。どうやったらこんなに自然になっているのかを
 観察するのが好き。それが多分一番心がけていること。
 あまり自然に作っちゃいかん。と思っている。違和感の中で物がどこに着地しているのかを考える。
 
Q: 人がある環境でどのように振る舞うのかの仮説。
A: F: 建築模型をのぞいて、人の動きを考えているのは確か。
 普段の生活になると自身が無いのだが。 
 普段何も心がけていない。
 ただ、自分の身体感覚みたいなものを、面白い場所にふと気づいたりというのはある。
 T: 人間がどういう環境でどういう振舞いをするのかを、研ぎすまそうと考えているが、
 面白いように外れる。人間とからみあってどうするのかを予想するのだが、
 人によってもズレが生じる。プロジェクトによってはズレが極大化するように
 わざわざ作る時もある。あまり形式に落とし込めるようなものはまったく見当たらない。
実験室的なクリーンな環境なら成り立つが。
満員電車の中と、ゆったりと落ち着いた環境の中で使われるものはあてはまらない。
目の前の状況で、自分たちがこう動いてほしいという行動、バランスされた状態に
動かしていくためのサイクル。観察とユーザーと一緒に起こっていく何かを考えていく。
観察、実行のサイクル。そこを少し強くしていける部分がある。

Q: 物理的な空間で考えている時の「地と図」はどのように見えているのか?
 iPhone などのデバイス、建築の中に入ってくる際の融合は?

F: 情報空間における「地と図」あんまり良くわかっているわけではない。
 なんとなく、今の情報空間はまだまだ複雑さが足りない。
 関係があるにしても、奥行きはあまりにも複雑さが足りない。
 変換が起これば起こるほど面白くなる。
 ある目的のために発信されている情報があるだけでは面白いことが起こってこない。
 建築と情報の融合は、可能性を感じたい部分ではある。
 図書館でも情報デバイスは出来てくる。タッチパネルを設置するだけでしかない。
 そこにはまだまだ違和感が多い。人間が建築の中で受ける視覚情報、空間の体感情報。
 デバイスを置いてあるところに行って、何かおこなわなければいけないのはギャップがある。
 そこがシームレスになれば良いというわけではない。
 違う楽しみとして情報に親しめるようになればよい。VRとかARではない、
 人間の違う身体性を刺激してもらえるものがあるといい。
 建築家としては、そちらに足をつっこむというよりは、
 人間が感じる快適さは、完成は変わってくる。
 情報デバイスが有る無しにかかわらず、新しい感覚に形を与えたい。
 
T: インターネット、情報空間の「地と図」ハイパーリンクで結びつけられている、
 空間の地と図、注目している背景側に「地」と感じることができない。 
 背景と手前の対象があって、注目物と背景の相対関係が自分の移動によって
 距離感が変わる。自分のアクションによって情報が入ってくるが、
 そういう形で Web を泳いでいくことができていない。
 リアルに持っている。目が2つあって奥行きがわかるという話に戻っていく。
物事に相対を感じさせる、そういったタイプの表現が必要。
僕らがWeb とか、そういうことを求めていないことがわかって、
情報が検索する時は、ピンポイントで飛んでいく。
情報世界で、図と図と図と図という間の中で、地なのか図なのかわからない、
違う相対化のやり方があるのかもしれないと考えている。
建築に情報を入れていくというのは、僕Avatarを観ていて違和感がある。
横から見ると違和感がある。コンピュータスクリーンで見る状態と、
建築に情報が埋め込まれることの差は、人間が動くこと。
人間が動くことによって、空間状に意味を持つ。
情報側がどのように反応を返すことができるか?
人間が情報の距離感覚にスタティックな情報を埋め込んでも意味がない。
人間の位置や向き、目の角度で情報が変化するような技術が
完璧に実現した時に、一段飛躍したような情報表現がありうるのかなと考える。


藤本壮介|原初的な未来の建築